
蜀の五虎将軍最強は誰なのか?
2位以下はどうなのか?
その疑問にこたえるべく、考察を行う。
★最強は張飛

張飛は、あの関羽が「大軍の中に切り込んで敵将の首をやすやすと取ってくる」と称し、自分よりも強いと認めた猛将である。
また、張飛は一騎打ちで馬超と互角の戦いを演じている。
そのことから五虎将軍最強として認定することにした。
黄忠・趙雲と勝負する場面がなかったが、その2人は黄忠が関羽相手に落馬していたことや趙雲が文醜と互角(関羽が一撃で倒した)だったことを考えると、その2人よりも強いといえるのだ。
★第2位 関羽

関羽は連合軍が鬼門にしてた華雄を討ち取り、曹操軍(夏侯惇、夏侯淵、許褚等)が歯が立たなかった袁紹軍の顔良、文醜(趙雲は文醜と互角)を討ち取り、曹操領の関所を夫人と共に突破したという武勇伝の持ち主である。
黄忠と死闘を演じ、馬超を「あやつと戦ってみたい」という言葉だけでおののかせた。
これらのことから関羽を2位とする。
★第3位 趙雲

長坂坡での一騎当千は有名である。
これは他の4人にはないことだが、趙雲が互角の相手を関羽があっさり倒したというものがあるため、この順位となった。
劉備の護衛をしていることから凄腕でなければならないため、3位が妥当であろう。
ただ、倒した相手に名将がおらず、格下武将しか斬っていないので、それがマイナスポイントとなり、最強の座を逃してしまった。
★第4位 馬超

馬超の功績は劉璋を降伏に追いやることからはじまり、 曹洪を戦わずして後退させ、漢中争奪戦での大手柄を立てたことにある。
加えて、劉備が東征している最中魏に睨みを効かせて漢中方面への侵攻を許さず 、羌族の侵攻をあっさり食い止めるという武功を挙げた。
一騎打ちでは張飛と互角だったが、関羽の言葉だけで驚き、趙雲が敵将の首を持ち帰った時にも敬意を抱いている。
許褚と引き分けているものの、その威風に驚いたことがあり、勝負の最中に槍を折られていることから最後まで戦い続けたら危うかったのではないだろうか?
その許褚に張飛が陽平関で勝った(許褚は酒に酔っていた)ので、最強候補からは外れることになり、4位となった(趙雲も許褚と引き分けている)。
★最下位は黄忠

関羽と黄忠は、互角の一騎打ちを展開するが、黄忠の馬が躓いて倒れてしまう。
ここで関羽が攻撃を仕掛けていれば、勝利したわけだが、関羽は正々堂々と戦って勝つことを望み、追撃をしなかった。
この日の一騎打ちは、ここで終わるのだが、翌日に再び対決する事になる。
黄忠は得意の弓矢を使い、関羽の帽子に命中させた。
本来なら射殺出来る腕前だったが、追撃しなかった事への恩返しのつもりで矢を外している。
このように関羽との一騎打ちで引き分けたが、夏侯淵を一撃で倒した技量はずば抜けて高い。
ところが、関羽以外の3人と戦ったことがなく、夷陵の戦いで単騎で突撃した際には戦死してしまい、無双状態とはいえなかったので、残念ながら最下位となってしまった。
決して、他の4人の名前が既に挙がっていたからではない。

★それぞれの影響力
・関羽・・・早くから張飛とともに名を轟かせ、顔良斬りで不動の物とし、荊南留守として魏呉を睨み続け、曹仁攻めで天下を震撼させた。
・馬超・・・郭援を破り、蛮異を従わせる勇名を持ち、曹操に対抗するために各勢力を纏め上げ、敗れるも再起して曹操を悩ませた。劉璋を名前で降伏に追い込んだほど影響力があった。
・張飛・・・早くから関羽とともに名を轟かせ、荊州逃亡の折に殿を務め果たし、益州援軍で迅速に敵を破り、張郃侵略を撃退して蜀の安全を確保した。
・趙雲・・・対外的にはほぼ無名で終わる。
・黄忠・・・夏候淵を斬ったこと以外はほぼ無名で終わる。
個人的武勇は全員がほぼ互角だが、武将としての名声は歴然としている。
勇名を馳せることに関しては趙雲と黄忠が大きく劣っていたといえるのだ。
★終わりに
どうだっただろうか?
納得できる順番だっただろうか?
あくまで主観であるため、異論があればコメント欄に書いてほしい。
どんな考えを持っているかを知ることにより、自らの学びにしたいと思う。
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