

信義を重んじ、武勇に優れた男同士の戦いが心を熱くする。
三国志演義における関羽と徐晃の戦いもそのうちの一つではないだろうか?
友でありながら主君のために争わねばならないのも忠臣として生きる者の信義であろう。
本記事は両者の戦いはどちらが強いかについて私見を述べたものである。
★樊城の戦いで激突
一騎打ちでは互角だった。
関羽は負傷中だったため、万全ではなかった。
徐晃はかつて関羽が打ち取った顔良に敗北している。
怪我人と互角という観点からみると、個人的武勇は関羽に分があるということになる。
もっとも、武術の勝敗にはその時の状況、つまり、相手の戦い方との相性、武器、体調、時の運、精神的余裕等の様々な要素が影響するため、徐晃が弱いということではない。
合戦自体は徐晃が勝っているため、用兵術では徐晃に軍配が上がっている。
戦いは相手を滅ぼすか撤退させれば勝ちである。
互角の部分があろうと、直接対決で不利であろうと逃げた方が負けである。
蜀が大好きな俺としては関羽の方が強いといいたいところだが、考察に感情を持ち込むことはできないため、総合的にみると徐晃の方が優れていたといわなければならない。
いきなり、徐晃の方が強いという結論が出てしまったが、それでは本記事があまりにも短すぎる。
そこで、何故、徐晃があの関羽に勝てるくらいの実力者になれたのかを考えていくことにする。

★地道な努力
徐晃のストイックな生き方は修行僧のようである。
けっして、鍛錬を怠ることがなかったといわれている。
武術の腕を磨くことによって、心も磨く生き方は武人の鏡だ。
日々の鍛錬が物を言ったのが関羽との決戦だったのだ。
かつての自分が全く歯が立たなかった顔良を一撃で倒した関羽と互角の戦いを繰り広げたのは修行の賜物だ。
これにより、この戦いの頃の徐晃は顔良よりも強いのではないか。
そう考えると、相手が負傷中だったとはいえ、見事な快挙だったのではないだろうか。
これに対し、関羽はどうだったのか。
以下で述べることにする。
★傲慢さが仇になった関羽
関羽はプライドが高く、己の武勇を鼻にかけるところがあったという。
徐晃との対戦時には負傷していたものの、その状態で一騎打ちに参戦したのは本人の意思によるものである。
これをハンデがあったというのは都合がよすぎるというものだ。
武勇を過信し、年齢による衰えもあったと思われる関羽が勝てる確率はそれほど高くなかったのではないだろうか。
傲慢な者と求道心に満ち、修行に明け暮れる者が兵を率いたら勝者はどちらか?
徐晃ではないだろうか?
三国志演義は蜀の武将が優遇されており、正史で凄かった者の存在感が薄くなっているため、徐晃が過小評価されてしまいがちになるのだ。
★総評(曹豹ではない)
義を重んじる者には傲りがあってはならない。
この点も徐晃の方が優れているのではないだろうか。
少なくとも人柄は徐晃が勝っている。
一騎打ちでは関羽、指揮能力、用兵術は徐晃。
総合的にみると徐晃が優勢。
武将とは腕力だけでは務まらないものである。
武術の腕だけで戦えるのは、あくまでも豪傑であり、将軍のすることではない。
本記事を書くためにネット上の意見を参考にしたが、どれもがここで述べたことと同じ意見であり、国家単位の戦いに大きく影響するのは戦略と統率力という考え方が大勢を占めていた。
俺は昔の戦いは個人の武勇の影響が大きいと思っていたので、驚きだった。
記事執筆と勉強を兼ねて今後もこのような考察を続けたいと思う。
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