
三国志の蜀ファンの間では「龐統が生きていれば三兄弟と黄忠を失わず、天下を統一できたのではないか」といわれている。
「そもそも、益州攻略に孔明・関羽・張飛・趙雲を抜擢し、荊州防衛を龐統・黄忠・魏延に任せればよかったのではないか」というのももっともな話のようだが、なぜ荊州に孔明らを残したのか?
本記事ではその謎に迫り、守りきるためにはどうすればよかったのかを考察するものである。
目次
★結論・荊州の守備をするため
天下統一の足掛かりとなる荊州が魏と呉の境目にあるため、両者の脅威から同地を守る必要があった。
そのため、孔明ら名だたる人物を残さねばならなかった。
これには名声がある者たちに守らせることにより、外敵に恐怖を与える効果があるのだ。
★益州攻略も困難を極める
一方、益州攻略も重要で、優れた人材がいなければ成し遂げることができなかったため、龐統、黄忠、魏延、関平、といった関羽らに匹敵する実力者を連れて行った。
これらの物たちは名声がそれほどでもなかったので、劉璋の警戒を解くのにうってつけであった。
★関羽を荊州に残した理由
龐統が戦死を遂げ、孔明、張飛、趙雲が援軍として益州にむかった際に荊州を関羽に守らせた理由は、戦に強いからで、あの曹操が遷都を検討したほどである。
また、孔明とあまり仲がよくなかったので、荊州を任せて距離を置いたという側面もあるのだ。

★龐統が生きていたら・・・?
関羽と龐統に荊州を任せ、孔明が益州に行けば落鳳坡の問題は起きなかった。
伏竜と鳳雛がともに劉備の陣営に加わり、五虎将軍と魏延がいるというすばらしい夢のような話が実現されたのだ。
★張飛か趙雲が荊州に残った場合
荊州の守備を任されたのが張飛、または趙雲のどちらかと龐統だった場合、その後の歴史はどうなっていたのだろうか?
それぞれを順番に説明する。
張飛の場合
張飛は粗暴な性格で酒癖が悪く、部下を殴り殺してしまうため、裏切られて荊州を取られてしまう。
龐統が止めても聴く耳を持たず、感情的になって暴れるので、これでは曹豹を殴って徐州を呂布に取られた時の二の舞になる。
よって、張飛の性格上、荊州を任せることには無理があるのだ。
趙雲の場合
趙雲なら守れるであろう。
名声は関羽・張飛に劣っているが実力は引けを取らず、人格面において凌駕していることから部下からの人望が篤く、裏切る奴が誰もいない。
趙雲はパワハラをしないだけでなく、敵に物をもらって喜ぶこともない。
冷静で正義感の強い性格と知勇を兼ね備えていることから的確な指揮をとれる。
また、孫堅が縁談で懐柔しようとする策略を趙雲に対して行った場合、争いに発展しないようにすることを考えて横柄な物言いはしないはずである。
よって、挟撃されることはなくなり、曹操の攻撃に対する備えに専念できる。
これに龐統の智略が加われば絶対に負けることはないのだ。
上記で述べた理由により、趙雲と龐統なら荊州を守ることが可能である。

★終わりに
どうだっただろうか?
納得できる考察だっただろうか?
俺も蜀が大好きなので、このような答えを出した。
もちろん、異論は認めるので、後学のために様々な意見を聞きたいと思う。
![]() | 価格:11,000円 |

閑話休題。女性ライバーと仲良くなれる方法について詳しくはこちらをクリック。