
歴史にもしもはないが、仮に三国志演義の冒頭部分で起きた大規模な反乱・黄巾の乱で漢王朝が滅び、黄巾党が天下を統一していたらどうなっていただろうか?
宗教国家となってしまうわけだが、具体的にはどんな感じなのか?
大賢良師と名乗った張角の運営する国は住みやすいのか?
本記事は黄巾の乱の概要を述べ、彼らの天下について考察しており、そのメリット・デメリットを解説するものである。
★黄巾の乱とは?
黄巾の乱は、後漢末期の184年(中平元年)に中国において、太平道の信者が教祖の張角を指導者として起こした組織的な農民反乱である。
目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いたことからこの名がついた。
現代中国では黄巾起義ともいい、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾賊と呼んでいる。
この反乱は後漢の衰退を招き、劉備の蜀、曹操の魏、孫権の呉が鼎立した三国時代に移る一つの契機となった。
★概要
冀州鉅鹿郡の張角は『太平清領書』に基づく道教的な悔過による治病を行った。
伝えられるところでは山中で薬草を採ってきたときに、南華老仙に出会い、『済民要術』という天書を授かり、妖術を覚え治病を行い太平道を広めた。
それをもって大衆の信心を掌握し、政治色を濃くしていった太平道は、数十万の信徒を36個に分け、一単位を「方」とし軍事組織化していった。
そうして武装蜂起を計画した張角は、漢王朝の転覆を暗示した「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」(『後漢書』71巻 皇甫嵩朱儁列傳 第61皇甫嵩伝、蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉)というスローガンを流布し、役所の門などに「甲子」の二文字を書いて呼びかけた。
184年(光和7年、干支年は甲子)、先に荊州・揚州で兵を集めさせていた馬元義を洛陽に送り込み、中常侍の封諝・徐奉等を内応させ3月5日に内と外から蜂起するよう約束したが、張角の弟子の唐周が宦官達に密告したことで蜂起計画が発覚し、馬元義は車裂きにされた。
事を重く見た霊帝は三公や司隸に命じ、宮中の衛兵や民衆を調べさせ1000人余りを誅殺し、張角捕縛の命を下した。
同年2月、事がもれた張角は予定より早く諸方に命じ一斉に蜂起し、自らを天公将軍と称し、弟の張宝・張梁をそれぞれ地公、人公将軍とした。
安平と甘陵で、張角に呼応した住民が王(安平王劉続・甘陵王劉忠)を捕らえた。
3月、霊帝は何進を大将軍とし将兵を都亭に駐屯させ、八つの関に都尉を置き洛陽を守護させた。
皇甫嵩や呂強等の進言によって党錮の禁を解き、官界から追放されていた清流知識人が黄巾軍に合流するのを防ぎ、且つこれを利用した。
また宮中の倉の銭と西園の馬を出し人材を募り、盧植を張角がいる冀州方面へ、皇甫嵩と朱儁に豫州潁川方面へと、それぞれ黄巾軍の勢力が強い所へ派遣した。

★黄巾党の天下
張角が天下統一を成し遂げたらどうなるか?
それについての考察を行う。
中国全体が信者になる
張角の命令により、全国民が入信させられる。
嫌だと言ったら粛清されてしまうだろう。
こうすることにより、逆らう者がいなくなり、盤石な態勢が整えられるのだ。
王朝を設立する
漢王朝に代わる新しい王朝が現れ、天下を治めることになるだろう。
民は張角に忠誠を誓い、教義を守って生きることになる。
宗教国家の誕生なのだ。
張角が皇帝になる
張角が帝位に就き、天下に号令をかける。
玉璽を漢王朝から奪い取り、霊帝に従っていた者たちが一人残らず粛清されてしまう。
もちろん、劉備や曹操も殺されてしまい、歴史が大きく変わるのである。

★メリット
・教えを守る者が保護され、様々な保証を受けられる。
・教団内で出世すれば大金持ちになれる。
・黙って従っていればいいので、何も考えずに生きられる。
★デメリット
・教義に不満を持つと、村八分にされて生きることができなくなる。
・信者にならないと殺される。
・異民族に邪教扱いされて侵略の口実を与える。
・後継者にふさわしい奴がいない(曹豹が適任だろうか)。
★終わりに
黄天の世に興味があるだろうか?
漢王朝の時代は終わったのだ。
皆で入信しようではないか。
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