
殷王朝は周の武王によって倒れた。
武王は周公旦、召公奭、太顚、閎夭、散宜生、太公望(本名を呂尚という。この件については後述する)などの優秀な人材に恵まれていた。
当時の殷は紂王の悪逆非道な統治によって人民が苦しめられるという大惨事に陥っていた。
ここでは紂王討伐の大決戦となった「牧野の戦い」とそのきっかけとなった暴政について述べようと思う。
★紂王の圧政
もともと、名君だった紂王は善政を行っていたが、殷に反逆した豪族・有蘇氏に討伐軍を差し向けた際に、有蘇氏の敗北の代償として一人の女を献上された。
美人で名高い妲己である。
紂王は妲己を気に入り、己の妃とすると、妲己のために酒で池を作った。
池の周囲には樹木に見立てた干し肉が刺されており、その中に大勢の裸の男女を入れて乱痴気騒ぎをさせた。
紂王と妲己はその光景を見て自分たちも愛欲に溺れていった。
これを酒池肉林という。
こうして紂王は堕落し、国政がおろそかになった。
紂王は諫める臣下たちを追放し、国民に重税を課して贅沢に拍車をかけた。
民衆は怨嗟の声を上げたが、妲己がこれを抑圧する方法を思いつく。
宮殿の前にある広場に巨大な釜を設置して火を焚き、そこに大量の油を塗った太い銅柱の橋を架けると、民衆にその橋の上を裸足で渡らせるという残虐な処刑法を提案したのだ。
炮烙の刑である。
紂王と妲己は民が焼け死ぬのを大笑いしながら見物していたという。
この事態に対し、殷を見放した臣下の姫発が後の周を興し、紂王討伐の軍を組織するのである。

★太公望の登用
武王の父である文王・姫昌は常に有能な人材を求めていた。
太公望と呼ばれる呂尚もそのうちの一人であった。
呂尚は文王より「我が先君・太公は周に聖人が現れ、国を栄えさせるだろう、と言われた。貴殿こそ、太公が望んだ聖人にちがいない」と絶賛されたことから、太公が望む者―――太公望と呼ばれるようになった。
それほどの逸材でありながら、呂尚は文王と出会うまで世に認められず、老齢になるまで釣りをして暮らしていた。
文王と呂尚が出会ったのは、文王が狩りに出かけた際に釣りをしている呂尚を偶然見かけたのがきっかけだという。
呂尚は重く用いられて軍師となった。
やがて、文王が没し、息子の武王が後を継ぐと、紂王の討伐に乗り出していくことになるのである。

★大決戦!!牧野の戦い
周の軍は無勢、殷は70万の大軍であった。
この大差を埋めたのが呂尚の策である。
紂王に反発する部族を味方に引き入れて大部隊を結成したのだ。
決戦の地は牧野という殷に近い所であった。
この時の周の軍は勢いが凄まじく、紂王の圧政を快く思っていない殷の軍は戦意を喪失した。
こうして、瞬く間に殷の兵士たちは武器を捨てて総崩れとなり、周の軍が紂王の本陣に突撃した。
敗北を悟った紂王は宮殿に逃げ込むと、火を放ち、妲己とともに焼死したという。
決戦はわずか一日で終わり、武王が勝者となったのである。
★終わりに
封神演義の元となった牧野の戦いは一瞬にして決着がついた。
勿論、妖術や魔物が登場するのはフィクション(当たり前だ!!)であり、実際の牧野の戦いは圧政に苦しむ者たちの結束によって大勝利を収めたのだ。
この戦いにファンタジーの要素を加えたのが許忠林の作・封神演義なのである。
尚、封神演義では呂尚が姜子牙という人物として登場している(さすがに大人物をファンタジーに登場させるわけにはいかなかったのだろう)。
さて、次回からは封神演義の内容について述べていく予定である。
お楽しみに!!
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