
水滸伝の盧俊義は今一つ光る物のない人物である。
能力的には恵まれているものの、人気はそれほどでもなく、作中での扱いもあまり良いものではない。
本記事ではそんな盧俊義の論評を行い、その救いのなさに追い打ちをかけようと思う。
★個性のない副頭領
異名の玉麒麟の由来となったように文武両道で大金持ちという非の打ち所がない男なのだが、何の個性もなく、魅力的でもないのが玉に傷である。
梁山泊の副将の地位に昇りつめたものの、盧俊義を好きな豪傑だ、という人はいないのでは、というくらい地味な存在になってしまっている。
作中での扱いも良いとは言えず、戦闘シーンでは先頭に立って突撃する勇猛さを発揮するものの、梁山泊には一騎当千の豪傑が大勢いるため、特別な大物扱いをされているわけではない。
むしろ、扱いがひどいというべきで、初登場時の嫁の浮気から物語終盤の毒殺による最期を迎えるシーンに至るまで踏んだり蹴ったりである。
★期待外れな存在
盧俊義は頑迷な分からず屋として描かれており、自身のことを心配する燕青をぞんざいに扱うという了見の狭さを露呈している。
それによって、武術の達人で大富豪という肩書が単なる飾りに成り果てている。
まさに能力は高いが、人格レベルは低い人間の見本のような男である。
物語の主人公・宋江が人徳以外の取り柄を持たず、能力面において光るものがないため、それとは対照的な存在になるわけだが、盧俊義の場合、人物の内面がほめられたものではない。
従僕の燕青の方が活躍度が高く、キャラクターの印象も良いため、存在が霞んでしまっている。
方臘との戦いで梁山泊の戦力を二手に分けて進軍した際に一方の指揮を任されたことで出番こそ増えたものの、勝利を得られたのは朱武の戦術によるところが大きい。
宋江の腕では史文恭を討ち取るのが不可能であり、その問題の解決のためだけに登場させられたのが盧俊義ではないだろうか?
これでは「作者の都合や思いつきで、急遽登場したキャラクター」ということになってしまうが、梁山泊には武松や李逵、魯智深、劉唐といった個性的で強い奴がたくさんいるため、インパクトの弱い盧俊義は、どうしてもそのように見えてしまうのである。
呉用が「盧俊義を味方にしなければ、史文恭を倒せない」と言っていた時に「盧俊義は、そんなに凄い奴なのか」と大いに驚いたものの、蓋を開けてみればいまいちぱっとしない人物だったのは、あまりにも悲しすぎる。
以上が盧俊義に関する論評である。
★終わりに
大物感漂う盧俊義だったが、出番が遅いこともあってか印象に残らない存在だった。
宋江が駄目人間なので、副頭領である盧俊義は優秀でなければならないという「物語製作上の都合」で登場しただけの人物のような気がする。
だが、それでも梁山泊には「108人の豪傑をそろえるための人数合わせ要員」がいることを考えると、それよりかは救いがあったのではないだろうか。
それを考えると、盧俊義は「個性的な登場人物が多い水滸伝における被害者」であるといえよう。
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