
↑懐かしい顔ぶれである。
本記事で取り上げる沙悟浄の役を演じた岸部シロー氏による「関西弁で話す河童」は強烈な個性を発揮していた。
西遊記の沙悟浄には河童のイメージが定着しており、原作を知らない人はそれが正しい解釈だと思っている。
ところが――――。
というと、とんでもないものが出てくると思うであろう。
本記事ではこれがどういうことなのかを述べていく。
★原典での沙悟浄
原作発祥の地中国ではこの解釈が間違っていると認識されており、原作にも河童という言葉は出てこない。
どんな姿をしているかは描かれているものの、それが何という妖怪なのかというところまでは説明されていないのである。
原作の沙悟浄は↓こちらのような姿といわれている。

原作には「藍色の肌、振り乱した赤い髪、光る眼、鋭く尖った歯を持つ」と描写され、画像のような姿をしている。
また、平凡社版の日本語訳には「一頭の紅燄、髪は蓬鬆、両隻の円き睛は亮きこと橙に似、黒からず青からず藍靛の瞼、雷の如く皷のごとき老竜の声。身には一領の鵝黄の氅を披ぎ、腰には双攢の露白の藤を束ぬ。項の下の髑髏は九個を懸け、手には宝杖を持ちはなはだ崢嶸し」と書かれているが、これでは何のことかわかりにくいため、以下に要約したものを記述する。
- 紅い炎のような色の毛で、ふわふわの髪が生えている
- 光る円い目玉
- 黒いとも青いともいえないような、藍色の顔
- 雷や太鼓の音のような恐ろしい声
- 美しい黄錦の直裰(じきとつ)、腰は白藤を束ねたもので隠す
- 9個の髑髏の首飾り、手に宝杖(降魔の宝杖のこと。降妖杖ともいう)を持っている
★日本人の解釈
河童のイメージが出来上がったのは「子供向けの童話や岸部シローのイメージ」が強いからである。
上記のような容姿は説明が難しく、どんな奴なのかが分かりにくい。
そこで、水中の妖怪ということで河童と解釈されたという。
ところが河童は日本の妖怪なので、中国人にとっては違和感を覚えるらしい。
そもそも、三蔵の一行が沙悟浄と出会った流砂河は砂漠という説がある。
水中の妖怪が砂漠にいたというのは読者の混乱を招くのも河童にされた要因であろう。
三蔵の弟子が猿、豚、馬(正体は龍)ときて沙悟浄だけ何の妖怪か分からないのでは不自然だ、と考えると、日本での解釈は誤りではなく、分かりやすくするための配慮だったと考えるのが妥当である。
★終わりに
なんだかんだいっても、ドラマ版西遊記の影響で「沙悟浄は河童」というイメージが脳内に刻まれている。
岸部シローは偉大だったのだ。
この記事に書かれたことを友達に自慢すると、博識と思われて一目置かれるであろう。
おたく呼ばわりで馬鹿にされることも考えられるが、そうなっても責任は負えないのであしからず。
ところで、堺正章版の西遊記のDVDーBOXのⅠとⅡを掲載したので、懐かしい思い出に浸りたい人は是非とも画像をクリックしてほしい。
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