
魑魅魍魎が跳梁跋扈する西遊記の世界観をぶち壊しにした日本のドラマがある。
香取慎吾版の西遊記だ。
本来、三蔵の一行は↑こちらの画像のようでなければならない。
ところが香取盤は妖怪らしさがなく、中華のファンタジーっぽいところもない。
以下に問題点を述べようと思う。
目次
★妖術を使わない
西遊記の醍醐味は妖術である。
悟空、八戒、悟浄の弟子3人(原作では玉龍も含めると4人だが、これについては後述)だけでなく、敵の妖怪も使わないのである。
これには裏切られた感が満載でがっかりさせられた。
★原作の設定をことごとく無視
原作ありきの作品であるにもかかわらず、改変が許されない点を好き勝手に変えまくったのには呆れた人が多いのではないだろうか。
悟空が騒ぐだけの馬鹿キャラ扱いされており、仲間を「なまか」と言ったり、筋斗雲を耳から出す(それは原作の如意棒だ)という演出は失笑ものである。
さらに、どういうわけか、悟空が一番最後に弟子入りしたことになっていたり、悟浄の武器が降魔の宝杖ではなかったという悪い意味での改変が目立っていた。

★悟浄と混世魔王が知り合い!?
混世魔王は悟空が妖術を体得した直後に戦った相手であり、その頃には沙悟浄は登場していない。
沙悟浄と混世魔王が顔見知りなのはおかしい。
★八戒と沙悟浄の設定改変
天上界の将軍であった天蓬元帥と捲簾大将が八戒と悟浄なのだが、それらの役職名すら出てこない。
ただの豚と河童(原作では河童ではない)にされる体たらくだ。
★玉龍がいない
玉龍が登場せず、三蔵が徒歩で旅をしている。
番組関係者が馬を用意する手間を惜しんだと思われる。

★悟空に匹敵する一般人の存在
悟空と腕相撲で互角の人間がいる。
こんなすごい奴がいたら、そいつを一行に加えて妖怪と戦わせるべきという話になるはずだが、そういう展開にならなかった。
人材を活用する術を知らない愚かな行為といえよう。
★台詞が全体的に青臭い
この番組には「天国に行きたいか」などという台詞があるが、西遊記は仏教関連の物語であることを分かっていない。
天国はキリスト教の概念である。
考証が甘すぎるのだ。
★三蔵に威厳が全くない
深津絵里が演じる三蔵法師は威厳がなく、一行のリーダーという気がしない。
夏目雅子の時とは天と地ほどの差がある。

★オリジナルキャラに魅力がない
香取版オリジナルキャラが何のためにいるのか分からない。
魔界転生映画版のガラシャのように、原作者の山田風太郎が認めたほどの味が出ていれば叩かれずにすんだものを、と思う。
★原作を読んだと思えない
枚挙に暇がないが、脚本家と監督をはじめとする製作スタッフの関係者全員が原作を読んでいないことは間違いなかろう。
どんなアレンジをするにしても、原作の雰囲気だけは壊さないようにしてほしいものだ。
★終わりに
香取版制作関係者全員に告ぐ!!
今すぐ原作を読め!!
↓こちらの映画も見るがいい(話はそれからだ!!)。