
電車の中で不愉快そうな顔つきをしているサラリーマンが↑こちらである。
有名な大学を優れた成績で卒業し、大企業に入社したものの、一向にうだつが上がらない奴等が今日も電車に揺られている。
一体、何のための学問だったのか?
学生時代に成績上位だったスーパーエリートの名誉に傷がつき、鳴かず飛ばずの人生を送っている姿はみじめで哀れで滑稽である。
ここでは社畜であることの愚かさを語ろうと思う。
目次
★滅私奉公に陶酔
「企業戦士」「会社人間」といった仕事以外にすることのない奴等が日本国民の大半を占めており、国中が何のために生きているのか分からない奴の巣窟と化している。
毎日、満員電車の中でおしくらまんじゅう大会に強制参加させられ、厄介な取引先や嫌いな上司に頭を下げる生活を送ることは生きながらにして死んでいる、といっても過言ではない。
社畜は「墓場の骸骨、死人の群れ」であり、自分の意志と自由を殺してまで「会社員人生」に命を懸けて血眼になっているわけだが、その生き方が都合よく利用されているものだということに全く気付いていない。
それどころか、自分が会社に必要とされていると信じ込んでいるのだから救いようがない。
↓このTシャツのようなことをすれば同調圧力によって潰されるのが日本の社会であり、潰す側に回るのが馬鹿な社畜である。
★自分から金儲けの道具に成り下がる奴等
経営者に利用される人生を自分から選んで、そこを居場所にするとは愚かな話である。
勤労意欲を持つことは良いことだが、社畜は意欲の度が過ぎている。
プライベートを犠牲にするのは自分を殺すことであり、労働マシーンとなる生涯を望んだことになってしまう。
奴等が働きたいと思うのは勝手だが、人を巻き込むから性質が悪いのだ。
★新しい時代の邪魔
今どき忠誠心など時代錯誤もいいところではないだろうか?
こういう奴等がいるからパワハラがなくならないのだ。
ダイバーシティの時代の邪魔をしているのは間違いなく社畜である。
会社の言いなりになっても利用されるだけで得することが何もないのだ。

★社畜だらけの原因
世の中が社畜地獄と化したのは「横並びの教育」が原因である。
周りの人間と全く同じことをしなければならない、という「普通の強制」が社畜だらけ社会の根底にあるのだ。
そもそも、会社員である前に「一人の人間」であり、自分の寿命を縮めてまで会社の金儲けに付き合う義理はないのである。
また、汗臭い体育会系の奴等による「先輩の命令は絶対」という軍国主義さながらの価値観も一役買っている。
このような不条理な体制を作った奴と、黙ってそれに従う奴が社畜を生んだのだ。

★改善される見込みなし
日本人の国民性である「個人より集団を重んじる傾向性」をなくさないかぎり、社畜生活で人生を終える者が増え続ける一方だ。
ところが、封建社会の時代は、とっくの昔に終わっているのを社畜どもに分からせようとすると、意地を張って抵抗する。
これは仕事以外にすることがないからであり、その詳細を以下で説明する。
★家庭で迫害されている
奴等は家庭に居場所がなく、会社しか楽しみがないのだ。
自宅が修羅場と化した状態で嫁に頭が上がらず、子供たちにも無視される―――これでは会社に逃げ場を求めたくなるのもわかる気がするが、帰宅するなり、テレビにXのメンバーが映っているのを指さして「あれがGRAYか?」などと言っているようでは家族に馬鹿にされて当然である。
このように家族と話が合わないのも「家庭での居場所がなくなり、社畜として生きることしかできなくなった奴等」の悲しい人生といえる。
社畜は「あんな人間になるな」というお手本なのだ。
奴等は学生の頃にクラスに一人はいたであろう、行事の時に張り切る馬鹿者と同じ人種に成り下がっている。
企業戦士サラリーマンなど存在価値が皆無であり、邪魔なだけなのである。

↑この画像のような姿になってまで、会社のために死力を尽くさねばならないのを誰も疑問に思わないのだろうか?
★休まないことの愚かさ
社員同士の派閥抗争も休みにくさに拍車をかけている。
ライバルに勝ちたい一心で、身を粉にして会社のために働き続けるのは馬鹿の極みだ。
無理してでも出勤しないと、派閥争いや出世競争に負ける、と思い込んでいるのだろうが、会社よりも自分の方が大事という当たり前のことに気付かないのはおかしい。
ここまでして会社に行かなければならないとは「奴隷根性」もいいところだ。
それにもかかわらず、用済みになったら捨てられる道具の立場に甘んじて、言いたいことも言えないまま定年までこき使われる生活には何の意義もない。
働き方改革の時代に社畜は不要である。
奴等がいるから無駄な飲み会や意味のない残業で終電まで帰れない、という馬鹿げた問題がなくならないのだ。
★終わりに
牛馬の如く働くことには意義がない。
会社に尽くしても自分の体が駄目になったら、人生終了である。
散々貢献した者に対して、会社は何もせず、リストラ対象者として処分してしまう。
使うだけ使っておきながら、用済みになったら捨てられる―――社畜はそのことに気付かないまま、今日も満員電車に揺られているのだ。
