
懐古厨街道爆進中の俺に言わせろ!!という思いを炸裂させる時が到来した。
ゲーム、漫画、アニメ等の娯楽作品について「昔の方がおもしろかった」というマニアなら誰もが思ったことについて語りたいと思う。
本記事の内容は、キン肉マン、ドラゴンボール、北斗の拳、聖闘士星矢、ついでにとんちんかん、るろうに剣心、幽遊白書、ダイの大冒険の世代なら必ず共感してくれるであろう。
少年ジャンプ黄金期とファミコン世代は同じ年代なので、昔のおもしろさを重々承知している。
エンターティメントの名をかたった今の作品がいかに低レベルか言わせてもらおうと思う。
★ゲームに対して吼える!!
手始めに今のゲームを処刑する。
以下の文には多くの人が共感してくれることであろう。
やらされている感じがするやりこみ要素
倒したモンスターの数やゲーム内の歩数がカウントされることにより、自分の行動を常に誰かに見張られている感じがして楽しくなくなった。
昔のゲームにはこんな要素はなく、冒険をしている感が満載だった。
思うに、ゲームをやりこむというのは「プレイ中の作品が好きでたまらなくて、時間を忘れて遊びまくること」であり、開発側が用意したものをやらされることではないのではないだろうか?
このシステムにより、全滅した回数やバトルから逃げた回数が記録されてしまい、誰かに見られた時に馬鹿にされる、という問題が存在するようになった。
そもそも、ゲームは余暇を楽しむための物であり、人と比べる要素は必要ないのだ。
そんなことに容量を使うくらいなら、不具合をなくしてから発売しろ、と声を大にして言いたいものである。
ストーリー及びシステムの複雑化
各メーカーが他との違いを出そうとするために考案したシステムが「覚えることが多く、ややこしい」という弊害を生みだした。
また、専門用語が多用されることで、ストーリーが難解になりすぎており、気軽に楽しめない作品が増えている。
娯楽作品で神経をすり減らさねばならないのはおかしいのではないか。
ゲームのストーリーは大魔王を倒して世界を救うというもので充分である。
誰もが理解できて気楽に楽しめるという、ゲームの原点を変えてはならないのだ。
スマホで遊べることによるマナー悪化
誰が何と言おうと、これは否定できないだろう。
歩きスマホによる事故が社会問題になっており、ゲームに夢中で車にはねられる奴や運転しながらゲームをしていて衝突事故を起こす奴が後を絶たない。
「お前ら、死にたいのか」と言いたくなる馬鹿者や場所を考えずにプレイする不届き者が増え、モラルと民度が低下したのは情けない話だ。
どこでもゲームができるというのは非常識行為を増加させるということなのだが、メーカー側が「利益最優先の経営」を行うことにより、事の重大性を軽視する傾向にあるのは非常に残念である。

★漫画に落胆
お次は漫画のダメ出しを行う。
これも低レベル化が嘆かわしいのだ。
理屈っぽくなった
説明臭い演出が増えた、と思う。
昔の単純明快でありながら凝った設定による作品はおもしろく、心が躍動したものだが、最近の作品は娯楽に理屈を持ち込む傾向にある。
戦闘シーンで凄まじいパワーがぶつかり合った時に「こっちの方が強いから」ですんでいたものがややこしい理論で解説されるようになり、純粋に楽しめなくなった。
もちろん、男塾の雷電のような解説キャラは昔からいたが、今の漫画は作品そのものが説明臭く理屈っぽい。
ジャンプ黄金期のような勢いで描かれていた作品が姿を消してしまったことは漫画界にとっての大きな損失ではないだろうか。
昔は昔で「最初から強い武器をよこさないのはおかしい」と言う奴はいたが。
キャラクターが美人とイケメンばかりになった
昔は北斗の拳のモヒカンや男塾の独眼鉄のようないかつい強面が山ほどいたが、最近の作品はホストクラブやキャバクラと化しており、キャラクターの価値が顔で決められている。
その手のキャラは作中でも優遇される傾向にあり、強キャラ扱いであることが多い。
特に小柄な美少女キャラの戦闘力が尋常ではなく、巨漢より強いのは、どう考えてもおかしい。
漫画だから許される、と言ってしまえばそれまでだが、他のキャラとの強さのバランスが崩れ、出番の多すぎる奴と少なすぎる奴ができてしまう。
それだけならまだしも、美人キャラで強い奴は男顔負けの戦闘力をほこることが多く、「この女がラスボスと戦った方が勝算がある」という女尊男卑は滑稽以外の何物でもない。
もやしのように細い体のイケメンと美人のどこにそんな力があるのか、と言いたくなる圧倒的パワーの存在は美形以外のキャラの出番を奪ってしまう。
そのため、強面やマッスル体型のキャラは咬ませ犬扱いされてしまい、それらのキャラのファンを落胆させることになる。
美形以外も描けてこそ、実力のある漫画家である気がするのだが、こういう考えはもう古いのだろうか?
バスタード!!で天の法則なるものがあったが、今はそればかりになっているのだ。
悪役のスケールが小さく、個性も弱い
かつて、少年たちを震え上がらせた、ピッコロ大魔王、フリーザ、ラオウ、大魔王バーン、ディオ、志々雄といった強烈な存在感を持つ悪役が存在した。
最近の漫画にそこまでの大物がいるだろうか?
また、のりピー語で有名なデスマスクみたいな奴もいない。
個性が弱いことにより、存在感がなく、印象も弱いのである。
悪のカリスマと呼ばれた強敵たちは過去の遺物になってしまった。

★アニメを斬る
アニメも劣化している。
作画がよければいいというものではないのだ。
声優の演技に個性がない
最近の若い声優の声はどれも同じ声に聞こえる。
神谷明、佐藤正治、青野武、千葉繁のような独特の声の声優は、もう現れないのだろうか?
なぜか声優の人気にルックスが影響する
これが全く理解できない。なぜ、外見が関係あるのか?
声優を名乗るなら、演技で勝負してもらいたいものである。
主題歌がタイアップ曲ばかり
昔のアニメはペガサス幻想のように、どのアニメの主題歌なのかが一瞬で分かるものばかりだった。
ところが、最近はJ-POPのタイアップばかりでアニメと関係のない曲ばかりが主題歌扱いされている。
少年の夢に商業主義を持ち込むのはやめてもらいたいと思う。

★J―POP
音楽業界も物足りなくなっている。
以下にその根拠を述べる。
アイドル偏重による品性消失
誰が誰だか覚えきれない48人組のアイドルグループが増え、アーティストの名にふさわしくない奴等が幅を利かせるようになった。
握手会の入場券商法は金に汚い、汚すぎる。
それを入手するために同じCDを何枚も買わせるのは金の亡者としかいいようがない。
この場合、買う奴も馬鹿だが、馬鹿を利用して金儲けというのは外道の極みである。
歌唱力低下
一般人のカラオケレベルと大差がない奴が多い。
昔は声量、声質ともにすばらしかった。
際立った個性がない
XやTRFのような独自の持ち味が皆無である。
このバンドにしかできない、というものがないのだ。

★刑事ドラマに虚無感
刑事ドラマもつまらなくなった。
銃を使わずに何のための刑事なのかと思う。
アクションシーンがなくなった
あぶない刑事や西部警察の頃の戦闘シーンが最近の刑事ドラマにはない。
銃を使ったアクションや格闘シーンがなければ見る気がしない。
俳優がかっこよくない
西部警察の大門やあぶない刑事の大下はかっこよかったが、杉下右京をはじめとする最近の刑事ドラマの主人公は全く魅力がない。
犯人が悪人らしくない
公共の場で機関銃を乱射する奴や大企業のオフィスビルの爆破を目論む爆弾魔がいない。
凶悪な犯人がいないと物足りないのだ。

↑西部警察の大門である。こういうかっこいい刑事がいなくなってしまった。
★俺の主観的言い分
俺は怒っている。
↓この「大魔神、怒る」のように怒っている。

エンターティメントとは、その名の通り娯楽である。
楽しいとは思えない物を娯楽と呼ぶのは無理がある。
このブログで述べているのは昭和生まれの人が思っていることであり、俺の実年齢がばれてしまうが、1980年代、90年代の作品は理屈抜きで楽しめる物ばかりだった。
ところが、最近の作品はおもしろさよりも利益を重視している傾向があるように思える。
特に顕著なのがFFとドラクエ、無双シリーズ、マリオではないだろうか?
俺はこうなってしまった原因は資本主義による効率化だと考えている。
ビッグタイトルを市場に出せば内容がいまいちでもネームバリューにだまされて買う奴がいることから、各メーカーの経営陣が売り上げの数字だけを見て「売れているので、おもしろい」と錯覚し、シリーズ物の量産が効率的な儲け方、という固定観念が生まれてしまうのである。
これが10作以上もの続編が販売されて飽きられたシリーズ物やらスピンオフ(本編を知らないと内容が理解できない)やらを量産し、質の低下を招いているのだ、と思う。
このように会社のブランド力に物を言わせて「早く、楽に儲けること」ばかりを追求した結果が駄作大量生産の根本的要因という考えに賛同してくれる人はたくさんいるはずだ。
そもそも、経営陣がゲームで遊んだことがないという時点でお話にならない。
株主や役員が「学生の頃に勉強ばかりしていて、遊んだことのない老害石頭集団」であるため、ゲームに理解のある若い世代が会社運営に関わる必要があるのだ。
80年代の本物しか生き残れなかった時代を憂う声がメーカーに届いてくれる日が来るのを心から望みたい。
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