
電車の中で不愉快そうな顔つきをしているサラリーマンほど哀れなものはない。
有名な大学を優れた成績で卒業し、大企業に入社したものの、一向にうだつが上がらない奴等が今日も電車に揺られている。
一体、何のための学問だったのか?
学生時代に成績上位だったスーパーエリートの名誉に傷がつき、鳴かず飛ばずの人生を送っている姿はみじめで哀れで滑稽である。
社畜と揶揄される生活を送り、毎日が虚しい。
ここでは社畜であることの愚かさを語ろうと思う。
★社畜の特徴
どんな人間が社畜になりやすいのか?
その特徴を以下で述べる。
生き方が古い
昭和の時代に一世を風靡した「24時間戦えますか?」というリゲインのCMのようなことを未だに変えられない奴が社畜になる。
これは「国のために死ぬ」といっていた戦時中の思考そのものであり、そんなことを令和の世でやっている奴が労働マシーンとして生きていくのだ。
出世競争に明け暮れている
社員同士の派閥抗争も社畜化に拍車をかけている。
ライバルに勝ちたい一心で、身を粉にして会社のために働き続けるのは馬鹿の極みだ。
凄まじい闘争心で仕事に励み、同僚たちを蹴落とすことを目論む様は阿修羅のようである。
仕事にさほど興味がない人にとっては嫌悪の対象以外の何物でもないのだ。
休日に仕事のことを考えている
社畜は明けても暮れても仕事のことしか頭にない。
まるで、年がら年中出勤日のような状態であり、会社が人生の全てになっている。
学生の頃に勉強ばかりしていて遊んだことのない奴がこういう人間になりやすいのだ。
仕事の話ばかりする
社畜は企業の下僕であり、会社人間である。
誰彼かまわず仕事の話ばかり聞かせてうんざりされているのだが、当の本人はそのことに気付かず、夢中になってまくしたてる。
休憩時間くらい仕事の話から解放してほしいものだ。
孤独である
社畜になる人間の特徴として「仲のいい同僚がいない」「交際相手がいない」「社外に友達がいない」などの孤独の問題が挙げられる。
今の状況を打ち明け、共有できる相手がいないと、社畜行動は歯止めが効かなくなっていく。
家庭を顧みない人間にならないうちに信頼できる相手を見つけることが肝要だ。
趣味がなく、仕事以外にすることがない
生きる楽しみが何もなく、趣味と呼べるものを持たない奴も社畜になりやすい。
これはまじめすぎることが起因している。
頭が固いので、遊ぶことに罪悪感があるのだ。
自分と同じ働き方を他人にも強いる
社畜どもは、熱血馬鹿によくありがちな「自分ができることは他人もできて当たり前」という思考回路を持っている。
そのため、己が多忙な時に他人がのんびりしていると頭に血が昇り、攻撃的な態度を取りはじめる。
それを目撃した上司が「あのくらい頑張って当然だ」と言い出すため、居合わせた者全員が悲惨な目に遭うことになるのだ。
イベントや飲み会に積極的に参加
社内の運動会や忘年会の時に張り切って参加する。
行きたくないといった人に対して感情的になり、罵声を浴びせる。
無論、無理矢理酒を飲ませるのは社畜タイプの人間である。
勤務先がブラック企業だということに気付かない
仕事に夢中になるあまり、自社の労働環境が異常であることに全く気付かない。
こういう阿呆がブラック企業を増やしており、労働者を自殺に追い込んでいる。
職場を地獄化している奴がいると、本当に迷惑だ。
学生時代の行事で熱くなっていた
社畜になる奴の特徴として、学生時代の球技大会や合唱コンクール、文化祭、甲子園の応援といった行事の時に気合が入っていた奴が挙げられる。
その時のノリで仕事をするので、大人しい人にとっては悪夢のような存在となるのだ。
滅私奉公に陶酔
「企業戦士」「会社人間」といった仕事以外にすることのない奴等が日本国民の大半を占めており、国中が何のために生きているのか分からない奴の巣窟と化している。
毎日、満員電車の中でおしくらまんじゅう大会に強制参加させられ、厄介な取引先や嫌いな上司に頭を下げる生活を送ることは生きながらにして死んでいる、といっても過言ではなかろう。
社畜は「墓場の骸骨、死人の群れ」であり、自分の意志と自由を殺してまで「会社員人生」に命を懸けて血眼になっているわけだが、その生き方が都合よく利用されているものだということに全く気付いていない。
それどころか、自分が会社に必要とされていると信じ込んでいる。
馬鹿も休み休み言え、とはまさにこのことだ。
定時で帰ろうとする人を阻止する
17時で帰宅しようとする人を呼び止め、「もう帰るの?会社の状況知ってるよな?」と威圧する。
勤務時間内に与えられた仕事を終わらせたにもかかわらず、「みんなが仕事してるのに、お前だけ帰るのっておかしくねえか?残業するのが当たり前だろうが!!」と理不尽なことを言い出すのだ。
これに対して「時間内に終わらせられない奴が無能なだけだ」でも言い返そうものなら、腕力に訴えるのだから始末に負えない。
↓このTシャツのようなことをすれば同調圧力によって潰されるのが日本の社会であり、潰す側に回るのが馬鹿な社畜なのである。
★社畜だらけの原因
なぜ、日本社会は社畜の巣窟になってしまったのか?
その原因を以下に掲載する。
横並びの教育
世の中が社畜地獄と化したのは「横並びの教育」が原因である。
周りの人間と全く同じことをしなければならない、という「普通の強制」が社畜だらけ社会の根底にあるのだ。
そもそも、会社員である前に「一人の人間」であり、自分の寿命を縮めてまで会社の金儲けに付き合う義理はないのである。
体育会系の存在
汗臭い熱血馬鹿・体育会系の奴等による「先輩の命令は絶対」という軍国主義さながらの価値観も一役買っている。
このような不条理は軍隊が元になっており、逆らう勇気のない人が奴隷扱いされてきた。
時代錯誤としか思えない「忠誠心の強要」が行われ、それによって会社の言うがままに働かされたのが社畜発生の要因のひとつである。
家庭で迫害されている
社畜は家庭に居場所がなく、会社しか楽しみがないのだ。
嫁にもっと稼げとどやされ、子供と話が合わないことから存在を軽んじられている。
このように自宅が修羅場と化した状態で嫁に頭が上がらず、子供たちにも無視される―――これでは会社に逃げ場を求めたくなるのも分かる気がするが、帰宅するなり、テレビにXのメンバーが映っているのを指さして「あれがGRAYか?」などと言っているようでは馬鹿にされて当然である。
こうして「家庭での居場所というものがなくなり、仕事しかすることがなくなった奴等」が社畜となっていくのだ。

★社畜の末路
日本人の国民性である「個人より集団を重んじる傾向性」をなくさないかぎり、社畜生活で人生を終える者が増え続ける一方だ。
ところが、封建社会の時代は、とっくの昔に終わっているのを社畜どもに分からせようとすると、意地を張って抵抗する。
これは仕事以外にすることがないからであり、その末路を以下で説明する。
過労死する
働きすぎで無理がたたり、命を落としてしまう。
そうなっても会社は何もしてくれない。
むしろ、定時になったら帰るように指導していたと嘘をつく。
会社のために死んでも何のメリットもないのだ。
用済みになったら即解雇
けがや病気で働けなくなった時に見捨てられる。
仕事が原因で負傷した場合でも容赦がなく、捨て駒扱い決定である。
人間を物同然に使うだけ使い、いらなくなったら処分されるのだ。
定年後に生き甲斐がなくなり、ぼける
仕事以外に何もしていなかったため、定年退職してから脳を働かせることがなくなり、認知症になってしまう。
こんな状態になってしまうと、家族に介護されることになり、いずれ厄介者扱いされて老人ホームに入所する羽目に陥る。
職場だけでなく、自宅でも煙たがられるのは哀れとしか言いようがない。

↑この画像のような姿になってまで、会社のために死力を尽くさねばならないのを誰も疑問に思わないのだろうか?
★休まないことの危険性
休まずに働き続け、社畜人生まっしぐらになっていることの危険性は以下のとおりである。
体を壊す
社畜化する奴等は無理してでも出勤しないと、派閥争いや出世競争に負ける、と思い込んでいるのだろうが、そんなことをすれば体を壊してしまう。
会社よりも自分の方が大事という当たり前のことに気付かないのはおかしい。
そこまでして会社に行かなければならないとは「奴隷根性」もいいところだ。
それにもかかわらず、用済みになったら捨てられる道具の立場に甘んじて、言いたいことも言えないまま定年までこき使われる生活には何の意義もない。
働き方改革の時代に社畜は不要である。
奴等のような生き物がいるから社内の運動会や無駄な残業で終電まで帰れない、という馬鹿げた問題がなくならないのだ。
自分から金儲けの道具に成り下がってしまう
経営者に利用される人生を自分から選んで、そこを居場所にするとは愚かな話である。
勤労意欲を持つことは良いことだが、社畜は意欲の度が過ぎている。
プライベートを犠牲にするのは自分を殺すことであり、労働マシーンとなる生涯を望んだことになってしまう。
奴等が働きたいと思うのは勝手だが、人を巻き込むから性質が悪いのだ。
新しい時代の邪魔
今どき忠誠心など時代錯誤もいいところではないだろうか?
こういう奴等がいるからパワハラがなくならないのだ。
ダイバーシティの時代の邪魔をしているのは間違いなく社畜である。
会社の言いなりになっても利用されるだけで得することが何もないのだ。

★終わりに
社畜は「あんな人間になるな」という手本といえよう。
奴等は学生の頃にクラスに一人はいたであろう、行事の時に張り切る馬鹿者と同じ人種に成り下がっている。
企業戦士サラリーマンなど存在価値が皆無であり、存在自体が邪魔なのである。
もちろん、牛馬の如く働くことには何の意義もない。
会社に尽くしても自分の体が駄目になったら、人生終了である。
散々貢献した者に対して、会社は何もせず、リストラ対象者として処分してしまう。
使うだけ使っておきながら、用済みになったら捨てられる―――社畜はそのことに気付かないまま、今日も満員電車に揺られているのだ。
